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2005/09/01

病は気から

今日び病院はどこでも禁煙(当たり前)だが、私の入院している病院は病院内に喫煙室ってのがあり、愛煙家の私にとっては、なんとも良心的な所なのだ。
たいていは外来患者やら入院患者家族向けに、1階のロビーに留置所みたいな喫煙コーナーがあったり、病院の外の「こっ、ここですか?」って所にしょんぼりと佇んでいるのが常なのだ。

病院の喫煙所ってのは本当に面白い。
大体、私のようにダメと言われてるのに、こっそり抜け出して来ちゃうような輩が、ぞろぞろいるのである。要するにちょびっと「我」が強いわけである。

ある日ゆらりと煙をくもらせていると、入院患者ではなさそうなちょっと元気なおじさんが入ってきた。話を聞いていると、友人の面会だとのこと。
話好きなおじさんで、いろんなことを話してくれる。

「昔、この病院に入院してたことがあって、病名は良く分からないんだけんど、たくさん血ぃ吐いて手術したんだぁ。いっぱい切ったよォ。胃だと思うんだけどさァ」
「そんでもさァ、先生ったら切ったその日に、『明日から歩け』って言うんだよォ」
「俺サ、言ってやったのヨ、『先生!明日は勘弁寝かしてくれよォ。明後日からじゃダメかい?』ってさァ」
「なあ。おかしいよなァ、切った次の日に歩けなんてさァ。せめて一日は寝かしてくんなきゃさァ」
「それで俺次の次の日から、歩いたんだよォ。でもさやっぱり歩けねぇな。5mくらい歩いたらもう疲れちゃって、死んじゃいそうだったもん。ガハハ」

ガハハって・・・・・
確かに手術した日の次の日から歩けってのはおかしいと思いますよ。ええ。
でも、その次の日だってダメだろうっ!

それでもこのおじさん、先生が歩けってくらいだから、絶対そのほうがいいんだろうと考えて、毎日毎日えらい頑張って歩く練習した結果、本来なら二週間くらいかかるところを半分の一週間で食事が取れるようになるという、ものすごいスピードの回復力だったんだそうだ。

その時期に歩くことが本当にいいのかは別としても、どんなに医者が頑張って手術しても、看護婦が献身的に世話してくれても、栄養バランスの取れた食事をキチンと運んでくれても、要は本人自身が治りたいと思う気持ちがちゃんとなければ、どうしようもないということなのだ。

それは単純な需要と供給の図式で、問題が定義され、それを解決したいと思う人と、解決する手助けができる人が一緒になって問題に取り組んで行くのだけれど、治したいと思っている人自身が、治したい気力を奮い立たせなければ、やはり最終的な解決は見込めないのだ。

手助けできる側は、あくまでも手助けしかできないからだ。
医者はその患者自身になって、痛さを分かち合うことは不可能だからだ。

治るにはどうしたらよいのか、いや、治りたいのか?本当に治りたいのか?
それがはっきりしてさえいれば、必然的にやることは決まってくる。痛いのも苦しいのもしょうがない。それでも、心もまっすぐしてくる。

「病は気から」

頑張りたい、治りたいといいながら、ちっともリハビリしない患者にならないように、自分を見つめて生きたいものである。
 

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