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2001/05/02 |
正義の味方 |
この間、仕事が終わらず朝帰りで家に着きシャワーを浴びている時、ふとそんな事を思い出した。
昔私はスーパーマンになりたかった、正義の味方のヒーローにすごく憧れた。
強くて拓ましい、勇気を持って悪と戦うヒーローに、、、。
多分あの時の会話が頭の何所かに残っていたのだろう。
A君『このページのフォーマットのデザインどうかな?良いと思う?』
B君『ここをさ〜もっとこうしてみたら良いんじゃない!』
C君『あ〜なる程ねっ、普段やってない人の方が何にも捕われてないだけあって、発想が豊かもね。』
A君『確かにそうかも。僕達の場合知ってるから、デザインを考えてても、出来る出来ないかに捕われて、発想が貧困してるかもね。』
と言うような普通の会話。
でも私の中に一言何かがつっかえた。 それは出来る出来ないに捕われて、、、と言う言葉が。
考えてみれば、自分の中にも知らぬ間に出来る出来ないという線を心の中に引いていたのかもしれないと知った。 いつから私は自分の中に限界を作ってしまったのだろうか。
子供の頃の自分と向き合う私が、濡れた髪をタオルで拭きながらそこにはいた。
きっと今までの私はこんなふうに思っていたのかもしれない、それは、、、
人は日々の生活で色んな形に少しずつ成長していくもの、何もしていなくても何かをしていても、生きていると言うだけで何かを感じていると思うから。
そしてある年齢に経っていくと俗世間が言う大人と呼ばれるようになる。
もう君は大人だと周りに言われていくと、自分自身の心の成長とは関係なく、自分は大人になってしまっている。だから世間の波に取り残されるわけにはいかないという、心の何所かにある葛藤。
大人という世の中の一つの輪の中に自分いて、その時大人と言う二文字の後に付いてくるもの、それが責任と言う言葉。
とてつもなく大きく、なによりも恐いもの。そして自分に対する言い訳、、。
大人=事情=責任。
私の脳裏に、大人=事情=責任っと言う図式の風が頭の中でうごめいている。
そして時が経つにつれ責任の重さを誰もが自覚せざるおえなくなっていく。
周りに知らない間にしいられてしまっているからかもしれない。
だからこそ自分に出来る事、出来ない事、出来そうにない事への物事に怯えてしまって、知らぬ間に壁を作ってしまう。 良い言い方をするなら、物事の分別が出来るようになると言う事なのかもしれない。
だけど、、、それで良いのならなぜ私はあのたわいもない会話に、こんなにも動揺しているのだろう。
ナゼ、どんな気持ちであの時、そう、昔の私はスーパーマンになりたいと思っていたのかを考えていた。
今の私はそんな者は居ないと言う事も、なれるわけがないと言う事も知ってしまっている。
その事に気付いた事はある意味では、成長して少し本当の大人に近付いたのかもしれない。
でもそれは自分が子供だった頃の成長の仕方とはまるで違う、似ても似つかないものになってしまったと感じた。
限界を知って、結果をだそうとする、そして先が見えるから頑張れる、出来る事に執着してしまって出来る範囲でしか動かなく、と言うか動けなくなってしまう。
だから本当は何がやりたかったのか分からなくなって、自分を見失ってしまうのだろう。
自分を見失った時、見失いそうなぐらい傷付いてしまった時、今までやってきた自分の実績をプライドに変えて、自分を守ってしまう。
生きていくための一つの手段。
その事自体は生きていくために必要な事でも、正しい事でもあるのかもしれない。
だけど、もっと何か自分が生きていく人生の中で、他に道があるかもしれない。
それが一体なんなのか、分からないけどこのままじゃいけないんだ。
あの頃に持っていたもので今の自分が持っていないもの?
そう思った時私の中の何かが変わっていた事に、忘れかけていた事に気がついた。
その気持ちとはもしかしたら、自分が望みさえすれば何にだってなれるんだ!と心の底から信じて疑わない、強く思い描く気持ちだったのかもしれない。
出来る出来ないに捕われず、自分がしたい事は何なのか、それをどうしたいのか、その可能性を自ら潰さない事、それが一番大切だと分かった。
あの頃の気持ちを取り戻す事ができると、信じる事から始めようと私は思った。
今の私は子供の頃の私が描いていた自分とはかけ離れてしまったけど、 それでもやっぱり正義の味方のスーパーマンに私はなりたいんだと心の中で叫んでいた。
PS,これを読んで下さったあなたに心から感謝します。
初めての試みなのでつたない文章ですが、少しでもあなたの心にとどいてくれたらと思います。
そしてなによりこの機会を私にくれた二人のボスに感謝したいと思ます。
(I wanna make my friends happy! Yeah! ) |
written by Chandler, |
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