ドキュメンタリーというジャンルの映画を見る機会自体少ないのですが、大抵このジャンルの作品を見る場合、多少でも情報を持っている歴史的事件や歴史上の人物に基づくものが多いかなと思います。ですが、ノミ・ソングの場合はまったくデータがない状態。
クラウス・ノミという人物の名前を聞いたこともなければ、何をした人物なのかも全く知らないので、何故“映画”になったのか、どんな内容なのかも皆目検討がつきませんでした。
不信感(?)たっぷりの状態で、映画を見始めると、この映画はドキュメンタリー映画らしくないドキュメンタリー映画でした。クラウス・ノミは、ベルリン生まれの美声を持つアーティストなのですが、奇異な宇宙人のような風貌に前衛的なパフォーマンスでオペラを歌うという、あまりの“新しさ”で彼は1970年代のニュー・ヨークで一時スターダムにのし上がります。そんなクラウス・ノミのドキュメンタリー映画がなぜただのドキュメンタリーではなかったかというと、彼が現実味のない、本当に異星人のような風貌であるということや彼の生身の姿が語られなかったということがあげられます。
彼と創作活動を共にした人や彼をプロモートした人々が多数出演して、クラウス・ノミや当時の時代背景について語るシーンはドキュメンタリーらしいけれど、アーティストとしての側面のみが語られ、実際の彼はどういう人物だったのか、何を考え、苦悩し、喜びを感じていたのか、は全く語られていませんでした。
これは、クラウス・ノミを知るには、その部分は全く必要ないか、もしくは、本当にそういう部分がないか、どちらかか、という印象を受けました。全編を見た後には、クラウス・ノミは本当に異星人かも、という気にすらなりました。とにかく彼の人間味がまったく感じられなかったのだけど、それでもクラウス・ノミというアーティストに対してとても興味をそそられる内容でした。
監督や製作者たちが何故クラウス・ノミを題材にこの作品を撮ったのかは知りませんが、作品からは、彼らのノミに対する愛着のような、感情的な部分をとても感じました。特に、作品の始まりと終わりに流れるシーンやノミの叔母さんがノミについて語る部分の映像(彼女自身は亡くなったのか出演はしない。録音された声のみ)などには、作り手側の気持ちの入れ込みがあるような気がします。それもドキュメンタリー性を感じなかった理由かもしれません。
ノミは30代半ばで、当時“ゲイの癌”としてエイズが認知され始めたころ、エイズでこの世を去りました。“不治の病+感染する”ということ以外は何の正しい情報もない頃。皆が周りから去り、1人で病の床にあったノミが何を考え、感じていたのか、が映画の中で語られると良かったなと思います。
個人的にはノミの音楽ジャンルもパフォーマンスも好みではありませんが、彼の声は美しく、今は生で聞くことはできないことが残念だなと思います。
(スタッフレビュー)
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