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2005/08/05

号泣の理由(わけ)

この間、久しぶりに号泣した。
自分でもビックリするぐらい、子供みたいに声を上げて泣いた。

5月9日ゴールデンウィーク明けの月曜日。仕事から家に帰ってテレビを点けると、
テレビ画面右上に「性を超えて〜Coccoからの贈りもの」という文字が。
気になって、しばらく見てみると、性同一性障害に関連したドキュメンタリー番組だった。
(正確にはTBS「筑紫哲也のニュース23」番組内のマンデープラスというコーナーで放映されたドキュメンタリー)。

途中から見ることになってしまったので、最初の方がどうだったか分からないけれど、大まかな内容としては、Coccoのファンだった性同一性障害の男性が自殺し、彼の家族からの手紙をきっかけにCoccoが歌を作った、というものだった。

うろ覚えだが、自殺してしまった彼はものすごく若かった。確か25歳だったかな。
自分の男の身体が嫌で嫌でたまらなくて、毎日男として一歩も動くのも嫌だと、彼は日記にそう書いていた。彼なりに肉体的に女性になるためのプロセスを勉強していたけれど、性転換手術を受けることはすごく難しく、専門家(医師?)が言うには、性認識に合わせ肉体を変えたいと願う人々にとって、入口は広いけれど出口はものすごく狭い、という状況なのだそうだ。つまり、性同一性障害である、と認められる人は多いけれど、肉体を変えるとなると、手術を行っている病院は少なく、施術を待つ人がたくさんいて何年待てば手術を受けられるのかすら予想できないのが現実だ。

毎日毎日自分の身体が嫌で、彼にとって女性の体になることだけが解決法で、その解決法が不可能に近い、としたら、この先の長いであろう人生を苦痛に感じたことは、全ては不可能だろうけど、理解ができる。

番組を見てる内に胸が苦しくなりどうしようもなくなった。
泣きながら何故か母のことを考えていた。
母はきっと彼のように性に悩んで自ら死を選ぶ人がいるという事実をきっと知らないんだろうと考えると悲しくてしょうがなかった。

この世の中にはゲイ・レズビアン・バイという言葉に当てはまらない多種多様な性がある。
様々な人に出会い、私はそれを知るようになった。
たとえ母がこの番組を偶然観ていたとしても、彼女の受取り方とそんな私の受取り方は違うのだろう。

彼が悩んで死を選んだことが問題なのではない。
性という生まれ持った変えようのない事実が、多くの人にとってあまりにも当たり前である性と肉体が、人の“生きる”気力を阻み、死を選択させうるものだという認識が人々の中に在るのか?ということが私にとっては問題だった。

きっと多くの人の認識は低いだろう。私にとって身近な存在である母もその一人だ。
そして知らなくても問題はないのだろう。それが事実だ。

だけど、私の中には疑問が残る。
知らなくても問題がない。だが、それは知らなくてもOK、ということなんだろうか?
性同一性障害という言葉が生まれ、人々の認知が少なからず進んだのは事実だが、無知はいずれ差別や偏見をうむ。

この番組がどのようなコンセプトで企画されたものかは分からないし、どれほどの影響があるのかも分からない。だけど私は番組が放送されたこと、そして自分が偶然番組を見れたことを嬉しく思った。

無知をなくすにはどうしたらいいんだろう。
何をしたらいいんだろう。

それを考えるきっかけをくれた。
written by Kaerut

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